小人さん工場(改造部長)旅行記。

日本海経由、さくらの旅
皆さん今日は、改造部長です。

私、鉄道写真も「箱写真」という鉄道車輛の個体を撮影するマニアックな趣味を持っております。福知山辺りで写真を撮りたいなぁ。と考えていたところに伝統寝台特急「さくら」廃止の一報が。
職場の先輩に行かない?と言われ、行くことに。
初めてのレポートを作りました。楽しんで頂ければ幸いです。

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2月9日(水) 東京→新潟→大阪

No.1 企業戦士よ家に帰るのだ! 上越新幹線「Maxとき335号」
東京⇒新潟 333.9k E4系E444−25

夜景の美しい東京駅にMax入線。

旅の始まりだ。
左の在来ホームは
ゴールの10番線。

新潟駅に定刻に到着。乗客は足早に帰宅を急いだ。

仕事も終わり、中央線快速で東京駅に向かう。楽しい旅行へ出発だ。
到着直後に事故があり、帰宅を急ぐ人々の足が止まってしまった。程なくして動き出したようだ。新幹線を待つが東北新幹線が遅れているらしくなかなか来ない。7分程遅れ、上越新幹線「本庄早稲田駅」開業と共に増備されたP編成のE4系2階建て新幹線が到着。慌しく車内清掃が始まり発車1分前に乗車、3分遅れで発車した。乗車した席は1階でホームが目線にくる。車輛は2階建て、外観は大きいが独特の前頭部に運転台、エレベーター、トイレ、機械室があり、客室はやや狭い造りとなっている。

乗客は企業戦士が主体の通勤新幹線だ。発車後地下へ潜っていく。
小生東京から乗車したのは始めて。初体験ですぅ♪
すぐに上野に到着。企業戦士が続々と乗り込んでくる。
上野を発車し再び地上、高架線に暫くすると埼京線を追い抜く車内は疲れきった企業戦士が目立つ。あ〜悲しき日本の現実かな。と思いつつ大宮。ここでも大勢乗り込んだ。車内放送では自由席は立席が出ているようだ。ゆったりと走っていた列車もVVVF制御音と共にぐんぐん加速を始める。ビューと風を切って北を目指す。1階の為、外の様子はよく解らない。車内は寝息を立て、静かであった。熊谷、高崎と到着する。高崎からは長岡まで停車しない。ドンッとトンネルに入った大清水トンネルである。越後湯沢、浦佐の通過を見て、長岡に到着。燕三条停車、終点新潟に着いた。
No.2 夜の女王に優しく抱かれて 寝台急行「きたぐに」
新潟→大阪 581.1k 581・583系モハネ583−68
新潟駅で静かに発車を待つ。

終焉時にはきっと賑やかになるのだろう。

583系の寝台設備。

室内一杯に配置された寝台が特徴だ。

新潟は先日降った大雪で、心配であると同時に寒さも心配したが、今日は暖かかったようで身を切るような寒さではなかった。また、駅には雪も殆ど見られない。次は、急遽思いついて乗ることにした急行「きたぐに」である。

国鉄形電車では581系・583系が寝台電車として昭和42年製作され、使用した「月光」に始まり、昼間はみどり、つばめ、みちのくなど、夜間は金星、ゆうづるなどに働いたが、今はこの列車のみである。また、優雅な寝台電車は「女王」の称号を得たと言う。男爵は?

「はくつる」に乗ったときに電車特有の荒い運転で、嫌になってしまったが、再び乗ることに決めたのである。「きたぐに」はこの電車の能力を生かした普通座席と寝台を選択して乗車することができる。私は寝台を選択した。普通車には数人の乗客がいたが遠くまで行く様子はなさそう。寝台に乗り込む。扉を開くと三段寝台が車内一杯に配された独特の世界が広がる。蚕棚のような造りで、3段寝台となっていて、窮屈そう。中段、上段へ入るのが難儀で女性には評判が悪いと聞く。このためか、1段に2名分のスリッパしかない。逆に座席は屋根が高く広々としている。アコモ改良はされており、客室窓のカーテン化、トイレ・洗面所などである。私の他にもう一人の乗客を乗せて静かに発車した。速度が上がるともに上段のベッドが軋む音が老い感じるなぁ。新津で数名乗車があった。程なく優しい女王の中で深い眠りについた。深夜の北陸路を西へと進み、目を覚ましたのは夜も明けきらない彦根であった。新大阪駅では新幹線に乗り換える為、多くの乗客が下車した。もう少し乗りたい気持ちであったが大阪に着いた。

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